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ななこのくつろぎカフェ

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32歳、乳がんの記録

~乳がんとわかるまで~

自分の胸に初めてしこりを見つけたのは、2004年6月頃のことでした。
触れると(何となく、そこに何かがある感じ)でした。
でも別に痛くもかゆくもなく
もともと私はPMSの症状が顕著に表れる方だったので
おかしいなとは思いつつも、いやまさか乳がんではあるまいと
そのときはまだたかをくくっていました。

その後、7月、8月と時は流れていき
9月頃になるとさすがに、そのしこりのことが気になり始めました。

実は私は22歳のときに、乳がんの友達を亡くしています。
バイト先の1歳年上の先輩でした。
結婚の直前に乳房に大きなしこりが見つかり
片方を全摘した彼女は、のちにだんなさんとなった当時の彼氏に
「だめ!結婚はやめよう!」と言ったそうです。

そんな事情を知る由もなく、春先に彼女の結婚式の2次会に招待され
バイトを辞めてからずいぶん久々に彼女に会いました。
それまで割とふくよかだった彼女が
なんとなく顔のラインがほっそりしていたのに気付きましたが
ダイエットをしたのかな?くらいにしか思いませんでした。

けれどその先輩が乳がんだったと知ったのは
先輩の訃報を知らされたあとで
最初、彼女のだんな様が連絡をくださったときには
事態がにわかには信じられませんでした。
お風呂に入りながら、その日の夜は大泣きしました。

「若くても乳がんになる」

その彼女のことがなかったら、おかしいと思いつつも
私は病院にはまだ行かなかったかもしれません。
また、自分のしこりを見つけたとき
その先輩の2次会での笑顔が何度も頭をよぎりました。
先輩から「早く病院へ行きなさい」と言われてる気がしました。

さらに10月になると「ピンクリボン・キャンペーン乳がん月間」
ということで、いろいろなサイトや雑誌で乳がんに関する特集が組まれていました。
雑誌のあるページに、乳がんのできやすい部位が
イラスト入りで紹介されていました。

(あっ!!!)

まさに自分のしこりの位置と、一致していました。
このあたりで(これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。)
と思いましたが、それでもなかなか病院へ行く気になれませんでした。

最後の決定打は私の家族です。

母方の祖父…肺がん(かれこれ10数年前に没)
父…左腎盂腫瘍(腎臓がん)。
  私が短大に入学する直前に発覚して
  左腎臓の摘出手術を受け、現在も健在です。
  化学療法の副作用がほとんどなかったので
  お医者様から「10万人に1人の割合です」と言われて
  それが今でも本人の自慢になっています。
母…子宮頸がん。私が中学生のときに全摘手術を受け
  現在も健在です。母は特に化学療法も放射線もやっていないので
  とてもがんを患ったことがあるようには見えないのですが
  術後数年間は、病院に通っていました。
  今はがんとは「おさらば」しましたが
  もともと高血圧な人なので、たまに通院しています。

ご覧のようながん家系なので、2歳年下の看護師でもある妹とは
「私たちもがんになる可能性が高いから、定期健診は必ず受けようね。」
といつも話していました。
私はといえば、30歳を過ぎてから子宮がん健診は半年ごとに受けていましたが
はっきりいって乳がんは「ノーマーク」だったので
しこりを感じたときには、本当にショックだったし焦りました。

普段は1人暮らしをしている妹が、たまたま実家に戻ってきたとき
妹にそのしこりに触ってもらいました。
「おねえちゃん、私は外科は専門外だけど、このしこりは硬くておかしいよ。
すぐに診てもらったほうがいいよ。」と言われて
ここでようやく病院へ行く決心がつきました。

今までは、体でちょっとでもおかしいところがあると
すぐに病院へ駆け込んでいた私ですが
今回は自分でも内心嫌な予感がしていたのかもしれません。

しこりを発見して、病院で診察を受けるまでに約4ヶ月もかかってしまいました。

このページには乳がんとわかるまでの日々や
わかってからの気持ちの変化などを
思いついたままに素直に綴っていきたいと思っています。

もし今自分の乳房に、何やら得体の知れないしこりを見つけて
不安になっている人がいたら、怖がらずに病院へ行ってほしいです。
私も怖かったけれど、あれ以上先延ばしにしなくてよかったと
今なら自信をもってそう言えます。



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